偏見と確率

昨日,定時制に通っていた方のツイートがRTで回ってきました.

これは「学校来ないけどバイトに行ける子はあまり心配してない」という旨のツイートに反応したもので,定時制に対する世間の偏見について書かれていたと記憶しています.もっと中身を見て判断してほしい,という筆者の意見はもちろん正当ですし,そういう社会になればいいなと思いますが,実際問題難しいよねってことはいつも考えています.

 

判断している側の人は,「定時制に通う人たちと触れ合う機会が少ない」でしょう.いわゆる社会のレールから外れていない人は文字通り社会のレールから外れていないわけで,普通の家庭で育ち,小中高と大きな問題もなく卒業しているはずです.そうなると,学校で知り合う友達やご近所さんも,ある程度似たような条件になることが考えられます.定時制の人が近くに居ることが少なく,情報が不足します.私自身,冒頭のツイートを見るまで,定時制に対して誤解していた部分がありました.

 

 

また,定時制における優秀ではない人の割合が他の母数より高いから,というのも考えられます(優秀さを何で測るか,という問題はありますが).定時制に通う人は様々な「理由」を持っていますが,その理由は両親の精神基盤の不安定さ,経済基盤の不安定さのどちらか(もしくは両方)に起因することが多いでしょう.両親の精神基盤の不安定さは,子供の精神基盤にも大きな影響を与え,暴力的になる/卑屈になるなどの良くない効果が生まれます.偏った考え方は人付き合いに影響を与え,良き友人に恵まれる機会が減り,ますます悪い方向へ流れてしまうことも考えられます.

経済基盤の不安定さについては分かりやすく,子供への教育資金の減少と勉強時間の減少に繋がります.また,経済基盤の不安定さは精神基盤の不安定に繋がることもあります.

このようなハンディは学力と健やかな精神の育成の壁となり,折り合いがついた頃には周りと差がついてしまったり,ついにはどうにもならなかったり… そして,定時制における優秀ではない人の割合が他の母数より高いという結果になってしまいます.

 

偏見はある程度確率問題から起こっているのではないか?ということです.

偏見を持っていい理由にはなりませんが,偏見を持つ側も持たれる側も,何かしら因果があるように感じます.